病院・診療所の開業を考えている医師・歯科医師の先生方にとって、既に存在する医療法人を買収し、買収した医療法人を利用して開業することは有力な選択肢の1つです。
とりわけ現在では持分の定めのある医療法人を新たに設立することが認められていないため、持分の定めのある医療法人を利用して開業したい場合には既存の医療法人を譲り受ける以外の方法はありません。
医療法人を母体として病院・診療所を開業することは、所得税や相続税の観点からメリットを享受できる可能性がありますが、一方で、医療法人の買収はリスクを伴う取引ですので、注意して取り組む必要があります。
そこで本コラムでは、医療法人を買収する際の基本的な注意点について解説させていただきます。
1. 医療法人の「買収」に必要な手続
はじめに医療法人を「買収」する上で必要となる手続について確認しておきたいと思います。
株式会社の買収は、その株式会社が発行した株式を取得するのみで完了するという考え方が一般的ですが、医療法人の買収については株式会社とは異なる手続が必要と考えられています。
まず持分の定めのある医療法人については、「持分」という株式会社における株式に類似した権利が存在するため、買収する側が買収対象となる医療法人の持分を取得する必要があります。
他方で、持分の定めのない医療法人については「持分」が存在しないため、持分を取得する必要はありません。なお、持分の定めのない医療法人については「基金」というものが存在します。「基金」とは、医療法人の設立時に出資された財産で、医療法人が活動する原資となるものですが、基金の拠出者は一定の要件を満たせば基金の返還を請求することができます。そのため、持分の定めのない医療法人の買収の際に、「基金」の返還請求権を買主が取得することがあります。もっとも、基金と医療法人の支配権には何ら関係性がないため、基金の返還請求権の取得は医療法人の買収に必須の手続ではなく、買主と売主の間で条件が折り合えば譲渡資産に含めることができる、という理解が正確と思われます。
また、医療法人においては「社員」から構成される「社員総会」という機関が存在します。医療法人の制度を理解する際、この「社員」の概念がややこしいため誤解が生じやすいのですが、「社員」とは従業員のことではなく、医療法人の最高意思決定機関である「社員総会」の構成員のことです。そして、医療法人の社員になる上では、持分を有している必要はなく、また出資を行う必要もありません。そのため、持分を持たず、出資もしていない社員(例えば、理事長である医師のご子息・ご息女など)も存在します。医療法人における社員の地位は、株式会社における株主の地位とは異なる点にご注意ください。
そして、医療法人の買収の際には、社員の過半数を買収する側のメンバーとする手続が必要となります。
加えて、医療法人においては「理事」と「監事」から構成される「理事会」という組織が存在します。医療法人の買収においては、この理事会の構成員を買収する側のメンバーに変更することも必要となります。
以上をまとめますと、持分のある医療法人の買収のためには、①持分の取得、②社員の変更、③理事会の構成員の変更という3つの手続が必要となり、持分の定めのない医療法人の買収のためには、①社員の変更、②理事会の構成の変更という2つの手続が必要となります。
2. 買収前の調査の必要性
医療法人を買収する上では、対象となる医療法人に対する事前の調査が不可欠です。この調査は、一般的にデュー・ディリジェンス(DD)と呼ばれるものです。DDをどの範囲で行うかは買収対象となる医療法人の規模にもよりますが、リスク管理の観点からは、どのような医療法人であっても、法務・財務・税務の観点から最低限のDDを行うことが望ましいです。
DDを行う主な目的は、①買収しようとしている医療法人のリスク分析、②当該リスク分析に基づく買収を実行するか否かの検討、③発見されたリスクの買収価格及び最終契約(医療法人の買収にあたり、売主と買主が締結する契約のこと)への反映、という点にあります。
ご注意いただきたいいのは、M&A仲介会社などが作成した資料やM&Aプラットフォームに掲載されている資料などは、あくまで概要であり、正確な情報が記載されているとは限らないということです。
過去にご相談に来られた方の中には、最終契約の交渉が始まっているにもかかわらず、買収対象の医療法人の決算書を確認していない(確認する必要性も認識していなかった)という方もいらっしゃいましたが、DDを行わないことでリスクを負うのは買主側ですので、DDは簡易なものでもよいので必ず実施することをお勧めいたします。
3. 買収対価の妥当性について
最後に、買収対価の妥当性を検討する上でのポイントをご紹介させていただきます。
理論上は、買収対象となる医療法人のフリーキャッシュフロー(あるいは税引き前の利益など)を一定の割引率で割り引いた結果得られる数値が当該医療法人の現在価値ということになりますが、実際の医療法人M&Aの実務では、このような手法により医療法人の買収対価を算出することはほとんどありません。実務上は、対象となる医療法人の純資産に、数年分の営業利益を加えるという手法(いわゆる年倍法)が採用されているケースが大半と思われます。
年倍法は簡易的な手法であり理論的に正しいものではありませんが、例えばある医療法人において、直近の貸借対照表上の純資産が1億円、直近の損益計算書上の営業利益が2000万円という場合に、純資産(1億円)+営業利益の3年分(2000万円×3年=6000万円)の1億6000万円を対価とすると、買主としては、直近の業績を維持すれば3年で投資回収できる見込みがある、という判断が可能となり、非常に分かりやすいというメリットがあります。
もちろん、純資産が減少しない、院長の交代により患者数が大幅に減少しない、多額の設備投資が必要でない、といった点を考慮して検討する必要がありますが、買主である医師にとって、専門的な知識を有する評価手法よりも簡単に理解できるという意味において採用しやすい手法と考えられます。
そのため、買収側において公認会計士などの専門家に依頼して医療法人の価値を算定することが難しい場合には、上記の年倍法のような考え方を参考に買収対価の妥当性を検討するのも1つの方法となります。
4. まとめ
本コラムでは、医療法人を買収する際の基本的な注意点について解説させていただきました。
医療法人の買収はリスクを伴う難易度の高い取引ですので、基本的には検討初期の段階から専門家に相談する方が望ましいです。もっとも、費用面などから専門家への相談が難しいという場合には、上記の内容を参考にしつつ、買収実行後にトラブルとならないように検討を進めるようにしていただければ幸いです。
なお、当事務所では医療法人M&Aを買主・売主のいずれの立場からもサポートしておりますので、お悩みの際は、お電話またはトップページ末尾のお問い合わせフォームからぜひご連絡ください。
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